第3次
ナウマンゾウ発掘報告

横山 謙二

最終更新日:2007年9月19日



 2006年12月23日(土)〜25日(月)、牧ノ原市大知ヶ谷の高塚英夫氏宅裏山の崖において、NPO自然史博ネットはナウマンゾウの発掘調査を行いました。発掘作業は、同ネットの会員、静岡大と東海大の学生、磐田南高と榛原高の生徒が中心となって行われました。期間中は天候にめぐまれ、12月下旬にもかかわらず暖かで、作業を行う学生たちの中には、Tシャツ姿の人も見られました。

 今回の発掘地では、1912年(大正2年)頃、高塚素一氏(故人)方で土蔵を建てるために裏山を削り取った際、青灰色シルト質粘土層から貝化石などと共にナウマンゾウの骨や歯が発見されています。その後、これらの骨化石はこなごなに砕かれ、土蔵の基礎として埋められましたが、硬質な2個の臼歯だけは県立榛原高校に寄贈され、大事に保管されています。

 これらの標本の産出層準や産状を明らかにすることと、まだ掘り出されていない化石を発掘する目的で、静岡大学と静岡県地学会は合同の発掘調査を2003年12月に行いました。しかし、ナウマンゾウ化石の発見にはいたりませんでした。今回は、前回の発掘を引き継ぎ、発掘域を拡大し、残存しているであろう他の骨の発見をめざしました。

 発掘計画は9月下旬頃に決まり、準備期間は短かったですが、資料づくりや現場の予備調査、道具の調達など、少ないスタッフで忙しく準備をしました。10月に発掘地点を訪れましたが、前の発掘で掘られたトレンチはすっかり畑の水路になり、崖は草に覆われていました。そこで、ほぼ一ヶ月間をかけ、高塚英夫氏をはじめ、地元の方々のご協力で、崖の木を切り、草を刈り、山を削って発掘しやすい状態にしていただきました。また、発掘前日には、静岡大と東海大の学生さんたちによって荷物の搬入とテントの設営などの準備を行いました。

 発掘は、池谷先生や野尻湖友の会の深澤さんの指導のもと始められました。発掘が始まり、地層を掘り進めると木や球果などの化石が見つかりはじめました。化石が見つかりだすと、記録と記載をとるのが大変でした。担当の学生たちは、地質学を勉強しているとはいえこのような発掘については未経験だったので、不慣れで時間がかかりました。このような発掘はただ掘って化石を探すだけではなく、どの地層から、どこでどの層準で発見されたか、またどのような状態で埋没していたかなどの産状をきちんと記載しなければなりません。さらに、状況を見ながら、発掘方法や場所、層準などについて適宜方針を決めながら進めていきます。しかし、今回の発掘ではこのような調査体制が十分に整っていなかったため、調査指導にあたった深澤さんは苦労されていました。また、発見された化石と調査の記載は、宿で調査にあたった学生により、夜遅くまで整理とまとめの作業が行われました。彼らの苦労があって、発掘のよい記録が取れました。

 さて、発掘作業がようやく起動し始めたころ、私は現場を離れ、測量作業を行いました。測量作業は、発掘調査の中で一番大切な作業の一つでもあります。しかし、この作業は、自分の一番苦手とするものでもあり、不慣れなため、機械を三脚に据えるのにも時間がかかってしまいました。そんなわけで、なかなか現場に戻ることが出来ませんでした。
 今回の発掘調査では、シカの尾椎やナウマンゾウの骨芯?の破片が発見されました。また、植物化石は、樹木や樹皮の他に、クルミ、エゴノキなどの球果が産出しました。特に、クルミの化石の中には、ネズミの仲間がかじったと思われる“食痕”の残されたものも見つかりました。そして、発掘最終日には、いままで古谷泥層からの産出報告のない甲虫の羽化石が発見されました。今回産出したこれらの化石は、種を同定したうえで、発掘記録とともに調査報告書を作成したいと考えています。

 最後に、発掘を行うにあたり、ご協力くださいました地主の高塚英夫氏はじめ地元の方々に厚くお礼申し上げます。

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登録日:2007年9月19日


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