総会記念講演
スイスの川の近自然化
ーチューリッヒ州の川づくりをまなぶー(その2)

板井 髟F

最終更新日:2007年9月20日



 前号では、18年度自然史博NET総会での講演の前半部の日本における多自然型川づくりの不満から、最初のスイス・ドイツの研修に至るまでをのべました。その続きです。

 2回目の研修は、スイスとくにチューリッヒ州の河川を中心に、@近自然化の目標、A環境保全への国民の関与、B河川底生生物からみた近自然化の実現度の評価を課題として取り組みました。

 スイスは九州程度の広さの国土をもち、人口は愛知県程度しかありません。石灰岩が地質として卓越する山国で、湖沼や丘陵・平地に氷河地形が多く見られます。国の南面・東面にアルプスがそびえ、国土の2/3はそこに源を発するライン川の流域となっています。この国は古くから人々が往来し、ライン川がその通路となっていました。国土の開発は進み、森林は30%しか残されませんでした(日本は60%)。このため現在この国では森林の保全が義務づけられ、山地や丘陵の頂部は森林として保全され、その麓に開かれた牧場や耕地もよく緑で被われています。

 ところで、この国は26の州からなる連邦国家ですが、国の政治は直接民主制をとっており、国民はイニシアティヴ(国民提案制度)とレファレンダム(国民投票制度)により政治に関与します。連邦政府の憲法は先行して改正されたベルン州の環境憲法に準じた環境保全の立場にならって制定され、「生物(Kreatur)に対する責任の下でそれと共生する共同体の形成」、「将来世代の環境権」、「環境保全に対しては国民の基本権さえ保留」などが定められ、国民の環境に対する関心は日本とは比べものになりません。

 スイスはすでに述べましたように歴史の古い国で、水源としてあるいは交通路として利用された関係上、ほとんどの川は古くから改修を受けています。さらに近代では農地開発のため、現代では工業化に伴って河川整備が実施されてきました。とくに1960年代には工業化の進行によって、河川の多くが排水路となりました。汚水の流入で川が汚れ、湖も汚れて魚は住まなくなり、上水や水浴にも困るようになったそうです。

 1970年代に入り、国の施策が環境重視へと転換し、まず河川や湖沼の水質浄化への取り組みが始まりました。都市・農村一律に高度な処理を行う下水道を整備しました。現在この国では下水道はチューリッヒ州では100%、国全体でも97%整備されています。こうして川や湖の水が清らかさを取り戻すと、より優れた自然の回復を住民が望むようになりました。

 このような背景のもとチューリッヒ州建設局のクリスティアン・ゲルディー技師らにより、古く改修されて直線的で石に囲まれ無機的だった川を、蛇行させ、石をはいで土を表させて生きものが豊かに住む、より「自然に近づける」ための再改修が始められたのです。「近自然河川工法」とよばれるこの手法による川の近自然化は、小河川から大河川へと、また町から農村へと広がり、やがてこの手法は河川にとどまらず道路から街づくりに至まで広がっていったのです。

 スイス・チューリッヒ州における河川の近自然化のいくつかの事例を紹介しましょう。まず大川ですが、Tuhr川ではライン川合流部近くの下流域に常習的な水害被害があり、総合的な治水対策事業の一環として近自然化が行われました。Andelfingen村付近では水衝部の石積みを廃し、林を保全してその倒木を護岸とし、Gutighausen村では川幅を広げ、水衝部は古いコンクリートの護岸を廃して土堤としてそこに空石積みの水制を配置したのです(写真1)。これらの工法の安全性は2005年8月の大出水でもほとんど無傷であったことで確かめられました。

 チューリッヒ湖西岸に沿ってながれ、チューリッヒ市街地にはいるSihr川は中規模の川で、この川でも多くの近自然化の事業が展開されています。私はこの川では3個所について底生動物を調べることによって近自然化の結果を評価してみました。市街地におけるどちらかといえば親水的な改修、中流における蛇行形成まで行った近自然化、その中間における道路事業のミチゲーションとしての川の近自然化のうち、底生動物の生息状況から見れば最後のものが、まだ未完成ながら最も優れているように思いました(写真2)。

 小河川はチューリッヒ市郊外の多数の小河川も含めいろいろ見ましたが、ゲルディー技師らが取り組んだNeftenbach村のネフバッハ川やその上流のクレーブスバッハ川でも河川景観におけるダイナミクスの回復度を見るほか、底生動物を調べて近自然化の達成度を評価しました。ゲルディー技師らに近自然化されたやや古い区間は、底生動物の生息の点では未改修区間との違いがほとんどなく、それは実はほぼ予想通りだったのですが、2004年に近自然化されたクレーブスバッハ川の区間はごく自然的な蛇行が川のダイナミクスによって形成されており、改修後わずか1年しか経過していないにもかかわらず、底生動物は古い近自然化区間よりも多様だったのです(写真3)。

 私がこの研修で学んだのは、川の近自然化においては、蛇行を形成するような川のダイナミクスを重視し、その回復をはかり、それによって瀬と淵が形成されることが最も重要だ、ということです。先進的なスイスの近自然化も当初は蛇行がほとんど回復されない形式的なものでしたが、近年は、このダイナミクスの回復を重視する方向へ向かっています。この方向こそ日本の川づくりでこれから求められるものといえるでしょう。


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登録日:2007年9月20日


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