コレクション紹介(4)
故小林國彦氏の蝶類標本

諏訪 哲夫

最終更新日:2007年9月20日



 2年前の2004年6月中旬、神奈川県に在住の蝶仲間のY氏を案内してイボタノキが群生し、草原が点在するかつての富士山麓の豊かな自然環境を狭いながらもわずかに留める、富士宮市の一角を訪れた際、小林國彦氏に偶然お会いした。この場所はかつて私が、彼にウラゴマダラシジミが多産することを教えてあげた場所なのだが、彼は、ここは近々開発されて蝶も植物も消滅してしまうからといって、いろいろの蝶をたくさん採集していた。最近、彼とは休日が合わないこともあって採集に一緒に行くことはほとんど無かったが、相変わらず蝶に関する情熱は昔と変わらず、体も元気そうに見えた。

 それから1ヶ月余りたって、彼の長年の友人である岡本純直氏から彼がくも膜下出血で入院したとの知らせを頂いた。私がお見舞いに伺ったのは手術も終わり、少し日が経過してからであったが、病もほぼ完治して大変元気そうで、ベッドの上で蝶の展翅をするまでになっていた。ところが退院に際しての検査で胸部に異常が見つかり、精密検査の結果肺がんと診断された。しかもかなり進展していた。他の病院に再び入院せざるを得ないこととなった。そういえば彼はチェーンスモーカーであった。タバコはやめたほうがいいと私も言っていたし、虫の仲間も言っていた。彼は「いまだかつて病気は何一つしたことはないし、僕のとりえは“健康”と豪語していたことを思い出す。これより少し前、ご自身が経営している会社の状態が悪くなったのも大きなストレスとなり身体をむしばんだのかもしれない。

 2004年11月、彼は享年61歳の短い生涯を閉じた。

 彼は1950年代の終わり、中学生のころから採集を始めた。自宅が富士宮市であったことから、富士山麓や、富士川沿いに良くでかけた。富士山は火山性の草原が広大に広がり、富士山特有の草原性のゴマシジミ、アサマシジミ、ヒメシロチョウなどの蝶類が多産していた。弓沢川沿いの平地や、市街地の西方の大中里の丘陵地にはコナラ、クヌギの雑木林があり、ここには低山地に住むウラナミアカシジミ、オオミドリシジミ、ミズイロオナガシジミなどのミドリシジミ類や、特異な分布をしていて興味深いウラナミジャノメが生息していた。また富士川沿いの明星山や沼久保にはギフチョウがいくらでも飛んでいた。

 彼はこの地域の蝶相の解明に努力され、発見した成果は静岡昆虫同好会の会誌「駿河の昆虫」や富士高等学校の生物部誌「すいれん」に発表した。これらの蝶は今では多くがレッドデータの絶滅危惧種となっているものである。標本の中で特筆すべきものとしては、1960から19770年代の富士山表口一合目、上井出で数多く採集したゴマシジミ、今では住宅地となっている1950年代から1970年代の富士宮市郊外のウラナミジャノメ、富士宮市佐折のギフチョウ、富士宮市舞舞木公園墓地のチャマダラセセリ、富士山一合目と上井出のヒョウモンチョウなどがあげられる。これらの生息地は現在すべて失われたものである。

 彼は学生時代京都で過ごしたが、このとき採集した標本で貴重なものが残されている。静岡県では絶滅種と認定され、全国的にも絶滅危惧の上位種として扱われている、オオウラギンヒョウモンである。

 晩年は仕事も忙しく、休日も少なかったことから、調査というより県外の蝶がたくさんいる場所に出かけて “楽しむ”という傾向になっていたので、記録として特筆すべきものは少ないが、福井県や新潟県などいくつかの産地のギフチョウの多くの標本は、異なる地域の個体変異を見るうえで大変参考になる。

 海外での採集は2001年と2002年、ロシアの東シベリアに採集に行っている。このときの標本が多く残されている。この中で注目されるのは、コヒョウモンモドキの仲間、アサマシジミの仲間である。これらの仲間は分類が難しく、分類を検討するためのまとまった標本が必要であることや、日本に生息している種との類縁関係を比較研究する上で、きわめて貴重な標本といえる。

 寄贈された標本は、ドイツ型標本箱にして90箱、279種、7337頭であった。実は1950年代から1970年代にかけての標本がもう少し残っているだろうと期待していた。たとえば富士宮市内のある限られた場所に確実に生息していたシルビアシジミ、富士市、富士宮市の丘陵地のギフチョウ、ウラナミジャノメなどであるが、これらがほとんど残っていない。以前お宅に伺った際、三角紙に入ったまだ展翅をしていないこれらの貴重な標本がかなりあったように記憶している。岡本純直氏によれば、彼の会社の問題、健康上のことなどで管理が十分行き届かないため、亡くなる直前の標本の状態はカビや虫にやられてかなりひどかったようすとのことあった。このために失われた標本がかなりあったと思われる。

 かびた標本は岡本氏のご尽力でカビの除去を行っていただき、多くの標本が救われた。さらに、「故小林國彦氏 追悼蝶展」を富士宮市の商店街の店舗を借り切って開催してくださった。このとき展示した標本をそのまま、今回自然学習資料として寄贈いただいたわけである。ご遺族の方、並びに岡本純直氏には心から感謝したい。故人の50年にも及ぶ地道な標本収集と、周囲の多くの方々の誠意に応えるためにも、この標本の適切な管理が行われるとともに、標本の価値が十分発揮されるよう活用されることを望んでいる。


自然史しずおか第12号の目次

自然史しずおかのindexにもどる

Homeにもどる

登録日:2007年9月20日


NPO 静岡県自然史博物館ネットワーク
spmnh.jp
Network for Shizuoka Prefecture Museum of Natural History