コラム「しずおかの自然」
ホトケドジョウ

発行:2000/12/05

板井隆彦(静岡淡水魚研究会会長)


ホトケドジョウ 他の類するものより抜きんでて、日の当たる場所で活躍する生物は、主役として生物の世界の表舞台で活躍し、そのありようがすばらしきこととして誉め称えられる。

 川魚の王たるアユは、明るい急流を好んで泳ぎ回り、その領域にはいる他のアユやもろもろの魚を追い払ってなわばりの主として君臨し、確保した食物を十分に食べて急速な成長を成し遂げる。人はその釣りの醍醐味に酔い、食べてはその味を誉め称える。

 流れが人工化したり水質が悪くなった川には、アユなどの清水を好む魚が居づらくなって減り、少々のことにはこだわらないオイカワが増える。俗に言うハヤである。憎まれっ子世にはばかるの類ともいえる。

 しかし、世の中にはその逆を行くものがいる。大きな川には決してはいらず、ほかのものが誰ひとり来ないひっそりとしたところで静かに暮らすのだ。このつつましさは著者にどこか似ているような気がする。名をホトケドジョウといい、体長が4〜6cmほどの小魚である。4対のひげのうち1対が鼻孔よりはえている珍しい形態をもつ。

 この魚、山から浸み出し水が集まってできた小川と言うにはあまりに細い流れや、泉から流れ出る小川にもっぱら生息する。そしてほかの魚とはほとんど共存しない。ともに暮らす魚といえば、わずかにカワヨシノボリ、ドジョウなど小型の魚のみである。ただし、比較的大きな流れにもホトケドジョウが見られることがある。たいていの場合それらは大形の成魚で、たぶん出水で流下したものがそのままそこに留まったものと思われる。

 ホトケドジョウと呼んできた魚は、近年、細谷(1993)、細谷ら(1994)により、平地近くに生息するものと山地の上流域に生息するものとに分けられ、平地のものをホトケドジョウ、山地のものをナガレホトケドジョウと呼ぶことになった。ただし後者には学名がまだない。

 ホトケドジョウの静岡県における生息状況の把握は、筆者をはじめ静岡淡水魚研究会員にとって、長年の課題であった。生息状況は長い間つかめなかったが、これにはいくつかの悪条件が重なった。小形のドジョウなので、普通のドジョウとあまり区別されず、利用もほとんどされてこなかったために、地域の住民からの生息情報がほとんど得られなかったことが大きい。いきおい実地調査は、地図の地形や地名を見て行う、ほとんど行き当たりばったりのものとならざるを得なかった。

 また、魚が比較的低い標高の山地や丘陵の河川の水源近くに住み、そういった地域が近年に著しい開発を受けてしまい、生息地が著しく局在化してしまっていることもある。近年、筆者ら(板井ら、1999)は、過去の調査で明らかにされた十数か所の生息地における生息状況の再確認を中心とした調査を行い、同時に数十地点の生息地をも明らかにすることができた。さらに詳しい生息状況は、静岡淡水魚研究会の杉浦正義さんが把握している、未発表のまま留まっているのが残念である。

 日本列島にいるホトケドジョウには3種があるが、静岡県にはそのうちのホトケドジョウ L. echigoniaとナガレホトケドジョウ L. sp.が分布する。前者は東北地方から近畿地方にかけて生息し、後者は静岡県西部から岡山県までの東海・近畿地方および四国の瀬戸内斜面に生息して(細谷、1994)、静岡県の西部地方で分布が重なり合っている。

     
ホトケドジョウ                       ナガレホトケドジョウ

 静岡県では、平地性のホトケドジョウは、湧水を水源とした小川、山地近くの山からの浸み出し水がはいる小川などに生息している。発見された生息地は、狩野川水系の箱根斜面の河川、富士山・愛鷹山の山麓、静清平野、志太平野、小笠地域を経て、浜名湖西岸まで広がる(板井、1982;板井ら、1999など)。しかし、生息地の数を見ると、伊豆半島、東部地域から中部地域にかけては非常に少ない。いっぽう、掛川から浜名湖周辺までの西部地域には、まだかなりの生息地がある。

 ホトケドジョウの分布が特に薄い地域のうち、静清地域をみると、興津川流域には生息地はなく、巴川流域では数地点で記録されてはいるが、流域規模の大きい安倍川流域で確認された生息地はまた著しく少ない。生息地はこの地域にはもとからあまり広がっていなかったかもしれないが、現在のような状況は、開発等の結果生息地が失われたことによって生じたものと推定されるのである。

 たとえば、静岡市から清水市へと流れる巴川流域では、いくつかの支流のうち右岸支流の吉田川や左岸支流の浅畑川には過去の複数の生息地記録のほか、現在もかろうじて生息しているところがあるが、最大の支流である長尾川流域では、かつて用水路などの生息地の複数の記録があるものの、現在はまったく失われてしまっている(板井ら、1999)。巴川流域のホトケドジョウの生息地は、宅地や最終処分場などの開発によってつぎつぎと失われていったのであり、残された生息地もさらにいくつかの土地利用事業で失われようとしているのである。

 ホトケドジョウは、ナガレホトケドジョウとともに1999年の環境庁のレッドリストに絶滅危惧TB類として載せられることになった。これは日本全国で生息地を減らしていることの証である。この原因には、湧水の減少、水路のU字溝化のほか、農薬の投下があげられ、とくに後者の影響が大とされる(細谷、1994)。しかし静岡県での生息地の消失例から見る限り、水路のU字溝化やとくに湧水の減少の影響が大きいと考えている。

 土水路(土手の水路をこう呼ぶ)がコンクリートのU字溝化すると、確かに生息環境は著しく悪化する。しかしこの中にも周りがたとえ一面の水田であっても(すなわち農薬が流入しても)、浸出水の流入があり水草が繁茂していれば、ホトケドジョウが生息することも多い。やはり決定的に影響するのは、湧き水や浸出水の喪失で、こういった水が失われたところではホトケドジョウはまったく見られなくなるといってよい。

 ナガレホトケドジョウは、ホトケドジョウより少し細長く、ヒゲや鰭も長い。この魚は平地性のホトケドジョウよりももっと孤独性が強く、山地の源流域の他の魚がほとんどすまない水が枯れたような細流に生息し、しばしば砂利の中に潜る。この魚の分布東限地が静岡県にあることは疑いのないことで、未だ明らかでないこの魚の分布や生息環境の詳細についても杉浦さんがほぼ調べ終えているようであるが、その結果はおおやけにはされていない。そういった中で、ゴルフ場造成といった事業によりこの魚が生息しなくなったところもでてきている。土地改変に伴う森林の喪失と小川のコンクリート整備を受けて特殊な生息環境を失ったためであろう。

 日陰に住むホトケドジョウ類は、人為による生息環境の破壊を甘んじて受け入れている。侵略者に生息地を追われ、また生活の糧もことごとく奪われた、アメリカやオーストラリアのかつての原住民のようである。ホトケドジョウのような日陰者の生息場所の人為による破壊は、環境アセスメントの実施でくい止められるものではない。実際に、環境アセスメントにかからないような小さな規模の開発や土地整備で、ホトケドジョウの生息地は次々と消失しているのである。

 多くはその存在さえ明らかにされないままに(調査によって本当はわかっていても、公表されないままというのもあろう)消えるのである。環境庁のレッドリストへの搭載は、生息地の消失についての漠然とした警鐘にとどまり、実際の生息地の消失の歯止めとして何ら機能しない。

 ホトケドジョウのような絶滅の危惧の大きい日陰者生物の生息地は、明らかにされていないことが多いので、その保全にはまず詳細な生息実態の把握が欠かせない。現在、静岡県が行っている絶滅のおそれのある野生動植物に関する詳細な生息実態調査はその意味で非常に重要なものであるが、さらにこの結果を行政がどう生かすかが、こういった消失に歯止めがかけられるか否かの鍵になろう。


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登録日:2001年3月28日